高松神社奉納相撲大会
 10月第二土曜日 御前崎市 高松神社


御前崎市にある高松神社では、毎年10月の第二土曜日に奉納相撲が開催されています。

静岡県御前崎市に立地する神社で、文武天皇の命により大宝年間(700年代)に創建されたとされています。
祭神は伊弉冊尊(いざなみのみこと)、速玉男命(はやたまおのみこと)、事解男命(ことさかおのみこと)の3柱であり、熊野三山から勧請されたとされています。
近代社格制度の下では県社とされており、鳥居の近くに建てられた石柱にも「縣社高松神社」と刻まれています。

文武天皇により同時に創建された掛川市の三熊野神社、小笠神社とともに「遠州の熊野三山」とも称され、創建以来、熊野信仰を背景に周辺地域からの信仰を集めています。

市町村合併のため、御前崎市になっていますが、元々は静岡県小笠郡浜岡町問屋でした。

由緒

当社の勧請は人皇四十二代文武天皇御勅願により紀州熊野三社を大宝元年九月十八日に勧請された。
その由来は大識冠鎌足公の御子淡海公(不比等)の姫君(宮子)が文武天皇のお后になられ給いて、皇子無きを以て深く紀州熊野三社へ御祈願になられ其の後皇子を御安産になり、この皇子を聖武天皇と奉称し給いぬ。
御祈願成就の上は急ぎ東に三所の社をたて勧請あるべき迚(とて)、勅諚を降ろし郡検として、公家奥野左衛門惟吉郷を詞宮に遣し当国城東郡へ造立の宮地を見立見分せし折柄、北は山南は海面の風景に新宮の宮地を定め則ち高松神社なり。
又三里西の方に当りて本宮の宮地を定め則ち三熊野神社なり。
又北の方に当りて那智の宮地を定め則ち小笠神社なり。
此の三所の宮地を定めて後吉日良辰を選びて奥野院を紀州熊野三社に遣わされ幣帛を奉じ牟婁郡より船綱を解き海上無事に当国城東郡合戸の州崎に着船ありしは大宝元年八月四日御仮殿に御遷しし、本殿完成と共に御遷座せり。

社号を明治維新までは高松権現と称せり。

伝説に曰く「源頼朝伊豆へ配流の節当社へ御祈願するところあり、後志を得て覇府を鎌倉に開くに至り代官として梶原源太影秀を代参せしめたり」


氏子区域

浜岡町大字問屋、塩原、合戸
小笠町大字河東

現在でも、氏子の方々による奉納相撲が行われており、ほとんどの参加者は競技としての相撲を普段からとっているわけではないため、娯楽としての相撲本来の良さが残っているようです。
また、昭和初期ぐらいまでは、相撲と共に歌舞伎も奉納されていたようです。


1994年 画像
この年は土曜日ではなく日曜日に開催されました。

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